前回のあらすじ
居酒屋クロでアルバイトを始めたヴァル。慣れないエプロン姿に照れつつも、クロの独特な賛辞や仲間たちの声援を受け、初々しく接客に励む。彼女のひたむきな姿は店を明るく彩り、客からも好評を博す。データで分析するクロと、それを補う仲間たち。新たな看板娘の誕生により、店は温かな活気に包まれていく。
第2章 後編「ヴァル、アルバイトを始める」
しかし、しばらくすると客足が落ち着き、店内に緩やかな時間が流れ始めた。超人的な速度で調理をこなすクロが厨房を完璧に回しているため、ホールだけの仕事では、ヴァルの手はすぐに空いてしまう。
ヴァルは手持ち無沙汰そうに周囲を見回した。
「……何か、他にすることある?」
その問いに、クロは作業の手を止め、わずかに思考を巡らせるように沈黙した。 そして、クロは視線を店の端へと向けた。そこには、琥珀色の出汁を満たした大きなおでん鍋が鎮座し、白い湯気をゆったりと立ち昇らせている。
「では、ヴァル。次はおでんをお願いします」
「はい」
ヴァルはうれしそうに答えた。
「具材の補充、盛り付け、そして出汁の管理です。沸騰直前の対流速度と具材の表面張力を計算すれば、突発的な飛沫による火傷の確率は0.03%以下。他の調理工程に比べれば、比較的安全です」
「比較的ってなんだよ。おでんを危険物みたいに言うな」
リュウジがすかさずツッコミを入れると、ミリィも少し心配そうにヴァルを見守る。
「大丈夫かなぁ。熱いから気をつけてね?」
ヴァルはこくりと頷くと、湯気の立ち上る鍋の前へと立った。
琥珀色の出汁の中で、味が染みて飴色になった大根、ぷっくりと丸いたまご、弾力のあるこんにゃく、そして出汁を吸ってふっくらとしたちくわが、静かに踊っている。ふわりと鼻腔をくすぐる、優しくも食欲をそそる香りに、ヴァルは思わず目を細めた。
「……おいしそう」
クロは短く頷いた。
「はい。私もそう思います」
その時、カウンターの客から威勢のいい声が飛んだ。
「お姉さん、おでんの盛り合わせ一つ!」
「……はいっ」
ヴァルは少し緊張した面持ちで返事をすると、お玉を手に取った。慎重な手つきで、琥珀色の出汁の中から具材を一つずつ器へと盛り付けていく。
まずは、味が染みて飴色になった大根。それから、ぷっくりとしたたまごに、弾力のあるこんにゃく、出汁をたっぷり吸ったちくわ。
崩さないよう慎重に、けれど丁寧に器へ並べ、最後に黄金色の出汁をたっぷりと注ぎ入れる。
「……どうぞ。お待たせしました」
差し出された器を、客はさっそく箸で割った。湯気を立てる大根を口に運び、数秒。
「うまっ……! なんだこれ、最高じゃないか!」
客の弾んだ声に、ヴァルは目を丸くした。
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
「出汁しみてるねぇ」
「おいしい」という言葉が、ヴァルの胸に温かく染み渡っていく。自分が誰かのために用意したものが受け入れられた喜びで、彼女の表情はパッと明るくなり、これまでで一番自然な、柔らかな笑みがこぼれた。
その様子を傍らで見ていたクロは、満足げに小さく頷いた。
「成功です」
「おでん係、誕生だね!」
ミリィがパチパチと手を叩いてはしゃぐと、リュウジもニカッと笑って同意する。
「ああ、こりゃ店の新名物になること間違いなしだな!」
そこへ、ちょうど店を訪れたエミリアが、カウンターの端からヴァルの姿を眺めていた。
「あら、よく似合ってるじゃない」
「……そう?」
ヴァルが少し首をかしげて尋ねると、エミリアは確信に満ちた笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。なんだか、ずっと前からそこにいたみたいに自然よ」
その言葉に、ヴァルは照れ隠しをするようにおでん鍋へと視線を落とした。立ち上る湯気の向こうで、彼女の頬がほんのりと赤らんでいる。
その頃店の外では、一人の男子生徒が足を止めていた。 ガラス越しに、店内の様子をじっと窺っている。そこには、おでん鍋の前に立ち、柔らかく微笑みながら客と接するヴァルの姿があった。そのヴァルの神々しさに思わず、静かに敬礼するポックスだった。
ポックスは何事もなかったかのように、平然とした足取りで店の扉を開けた。
「こんばんは」
落ち着いた声で挨拶をする彼に、クロがいつものトーンで応じる。
「いらっしゃいませ」
「……あ、ポックス」
おでん鍋の向こうでヴァルが驚いたように声を上げると、ポックスは彼女と視線を合わせ、淡々と告げた。
「偶然通りかかったので、来店しました」
「嘘つけ!」
リュウジが即座にツッコミを入れ、ミリィもニヤニヤしながら身を乗り出す。
「絶対嘘! ヴァルのこと見てたでしょ?」
「違います」
ポックスは表情一つ変えずに否定したが、その耳たぶはわずかに赤らんでいた。
クロはそんなやり取りを横目に、静かにアナライザー・パッドへ指を走らせた。
【新規常連候補を確認】
「やめて下さい」
ポックスが迷惑そうに言う。
こうしたみんなの笑顔の中で居酒屋クロの新しい名物、『ヴァルの愛情しみしみおでん』が誕生したのだった。🏮🍢✨
次章に続く


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