第65話
第3章「違和感」
第三演算加工室。静かな駆動音の中、クロはゆっくりと目を開いた。
「システム正常」
「エモーションチップ接続確認」
「自己学習領域安定」
ポックスがアナライザー・パッドを確認する。
「演算異常なし」
「出力正常」
リュウジが腕を組む。
「……普通だな」
クロは静かに身体を起こした。
「現在のところ、大きな変化は確認できません」
ポックスも頷く。
「感情形成には経験と学習が必要です」
「即座に変化は起きないでしょう」
リュウジは少し拍子抜けしたように息を吐く。
「なんだよ、もっと急に暴走するとかさぁ……」
クロは小さく首を傾げた。
「暴走は予定されていません」
リュウジが吹き出す。
「予定って言うな」
翌朝、クロはいつものように登校していた。
廊下の向こうからミリィが手を振る。
「クロ〜!おはよー!」
クロは立ち止まり、いつもより少し自然に答える。
「おはようございます、ミリィ」
ミリィが止まった。
「……ん?」
その横を歩いていたセイヤが首を傾げる。
「どうした?」
ミリィはクロを見ながら言う。
「なんか今日、優しくない?」
セイヤは真顔だった。
「クロは元々礼儀正しいだろ」
ミリィは納得いかない顔をする。
「いや、なんか違うの!」
クロ自身は分かっていなかった。
「変化は確認できません」
その時、後ろからエミリアが来る。
「おはよう」
クロはエミリアを見る。
「おはようございます、エミリア」
エミリアは一瞬だけ止まった。
「……?」
ほんの少し、声が柔らかく聞こえた気がした。
「どうかしたか?」
セイヤが聞く。
エミリアは小さく首を振った。
「……ううん」
授業中、クロは窓の外をぼんやり見ていた。
静かな宇宙を遠く流れていく星々。その光景を、以前より長く眺めている自分に気づく。
エミリアが小声で呼んだ。
「クロ?」
クロはハッと視線を戻す。
「……すみません」
エミリアは少し驚いていた。今までのクロなら、「処理中でした」とか「外部観測を行っていました」と答えるはずだった。だが今の返答は、人間っぽかった。
「……本当にどうしたの?」
クロは少し考える。
「分かりません」
その答えに、エミリアはさらに違和感を覚える。
昼休みの食堂でミリィが大量のデザートをトレーに並べていた。
「今日はプリンの日なのです♪」
リュウジが呆れる。
「どこの放送だよ」
ヴァルは静かにスープを飲んでいる。クロは空席へ座った。
ミリィが笑顔でプリンを差し出す。
「はい、クロの分!」
クロは少し戸惑う。
「……なぜ私に?」
ミリィは不思議そうに言った。
「一緒に食べたいから?」
クロの演算が一瞬止まる。
「一緒に……」
胸部コアが微かに熱を持った。
ヴァルが静かにクロを見る。
「顔、少し赤い」
クロは即座に否定する。
「発熱ではありません」
リュウジがニヤニヤする。
「お前さては照れてんのか?」
クロは停止した。
「……照れる?」
その言葉を、まるで初めて触れる概念のように繰り返した。
放課後の整備区画。リュウジが端末を見ながら眉をひそめる。
「おいポックス、反応速度上がってねぇか?」
ポックスもデータを確認する。
「情動形成速度が予測値を超えています」
リュウジが苦笑した。
「もう感情芽生えてんじゃねぇの?」
ポックスは静かにクロのログを見る。
「……可能性はあります」
その夜。クロは一人、艦内展望スペースにいた。静かな宇宙を見つめながら、今日の記録が内部で再生される。
ミリィの笑顔。
エミリアの優しい声。
ヴァルの静かな視線。
セイヤ達の何気ない会話。
クロは胸部へ手を当てた。
「……これは、何でしょう」
微かに熱を持つ演算コア。その感覚を、クロはまだ言葉にできなかった。


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