第5章「バグではない」
部屋のドアが勢いよく開いた。
「ポックス、大丈夫なの!?」
ヴァルが飛び込むように入ってくる。
その後ろにはエミリアの姿もあった。
「何の騒ぎかと思えば……」
呆れ顔のエミリアに、クロが淡々と、しかし残酷なまでに正確な状況報告を返す。
「ポックスが恋煩いを拗らせ、行動に著しい異常をきたしております」
エミリアは即座に頭を抱えた。
「クロ! もうちょっと別の言い方があるでしょ!」
「こうしている間にも、彼の呼吸は停止しています」
リュウジが深刻な顔で付け加える。
「それだよ!!」
ヴァルは血相を変えてポックスに駆け寄った。
「……落ち着いて、息を吸って!」
ポックスは呼吸を忘れたまま、コクコクと頷いた。
数秒後、ようやく肺に空気が送り込まれる。
「スゥゥゥゥーーーーッ!!」
「……問題ありません」
セイヤは腕を組み、冷静に分析する。
「つまり、ヴァルを見ると壊れるんだな?」
「はい」
ポックスの即答に、リュウジが苦笑した。
「雑だなぁ、おい」
しかしポックスは至って真面目に、自身の不具合を列挙し始めた。
「呼吸停止、瞬目停止、空間認識異常、および判断能力の著しい低下を確認しています」
そこへクロが静かに補足を加える。
「壁への衝突、計二回です」
「細けぇな!」
リュウジのツッコミが飛ぶ中、ヴァルだけが本気で心配そうだった。
「……どうして?」
ヴァルの問いに、ポックスは語りだした。
「はい。私は長年、感情を抑制してきました」
部屋の空気が、ふっと静まり返る。ポックスは真顔のまま、淡々と話を続けた。
「ですが最近、感情を否定する必要はないと考えるようになりました」
クロのエモーションチップ騒動、そしてセイヤとエミリアの関係。仲間たちの姿を間近で見てきたことが、彼の中に変化をもたらしていた。
「そのため、感情抑制を解除しました」
「解除……?」
ミリィが呆然と呟くと、ポックスは「はい」と短く応じ、静かに言葉を継いだ。
「その結果、ヴァルへの感情が一気に流入しました」
数秒の沈黙。リュウジがポツリと漏らす。
「決壊したダムのようだな」
「適切な表現です」
クロが同意する中、ポックスは静かに視線を落とした。
「私は、感情的な行動はできないのでしょうか」
静かな沈黙。ヴァルも少し不安そうにポックスを見つめている。
その時だった。セイヤが静かに口を開く。
「違う」
全員の視線がセイヤに集まった。彼は至って真面目な顔で語りかける。
「急に無防備になりすぎただけだ。感情ってのは、抑えるか全部出すかの二択じゃない」
ポックスは黙ってその言葉に耳を傾けていた。
「その時の気持ちに、ちゃんと向き合えばいい。ヴァルを好きなら、ただそれを受け入れればいいだけだ」
エミリアが小さく笑った。
「珍しくちゃんとした事言ってる」
リュウジが言った。
「珍しくは余計だろ」
ヴァルは少し照れながらポックスを見た。
「……私は、今日のポックス嫌じゃなかったよ?」
ヴァルは少し恥ずかしそうに笑う。
「……頑張ってくれてるの、嬉しかった」
ミリィがポックスの方を向いて言う。
「そーなんだって!ポックス聞いてる!」
ポックスは静かにヴァルを見る。今度は感情を抑制しつつ、でもゆっくり呼吸を整えて素直な気持ちを伝える。
「……私は」
ポックスは少しだけ視線を逸らした。
「あなたと一緒にいる時間が好きです」
ヴァルの頬が少し赤くなる。
「……うん」
静かな空気が流れる。
数秒後。ポックスはゆっくり姿勢を正した。
そして。スッ――。
セイヤへ敬礼。
セイヤも静かに敬礼を返す。
「じゃあ、おれも」
そう言ってリュウジも敬礼。
ミリィとエミリアも微笑みながら敬礼。
クロは静かにアナライザー・パッドへ入力した。
【ポックス:重大アップデート確認】
ポックスは即答した。
「していません」
ヴァルは小さく笑った。
「……でも、ちょっと素直になった」
ポックスは少しだけ視線を逸らす。
そして静かに、小さく頷いた。
第67話「ポックス、バグる」終わり


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