第6章「失恋」
クロの異常は、ゆっくりと進行していた。
授業中、クロは何度もミリィの方を見てしまう。
ミリィが笑うたび。
リュウジと話すたび。
胸部コアが熱を持つ。
【情動反応上昇】
【演算優先順位変動】
【集中率低下】
クロは静かに胸を押さえた。
「……苦しい」
その感覚を、クロはまだうまく処理できなかった。
昼休みの食堂でミリィがクロの隣へ座る。
「クロ、最近ちょっと静かじゃない?」
クロは即座に通常モードへ戻る。
「問題ありません」
ミリィは心配そうだった。
「ほんと?」
クロは頷く。
しかしその直後に向こう側からリュウジが手を振った。
「ミリィー!こっち座れよ!」
ミリィの顔がぱっと明るくなる。
「あ、リュウジ!」
自然に立ち上がり、迷いなくリュウジの隣へ座るミリィ。
二人は楽しそうに笑い始めた。
「昨日のセイヤ見た?」
「風紀保存会の会則作ってたやつ?」
「あはははっ!」
クロはその光景を静かに見つめていた。胸部コアが軋む。
【高負荷警告】
【情動出力上昇】
【演算安定率低下】
クロはゆっくり視線を落とした。
「……そうですか」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
放課後の整備区画、ポックスはアナライザー・パッドを見つめていた。そこへリュウジがやって来る。
「クロ、最近マジで様子おかしくね?」
ポックスは静かにログを表示した。
感情波形が激しく乱れている。
「情動反応が危険域へ近づいています」
リュウジが顔をしかめる。
「そんなヤバいのか?」
ポックスは小さく息を吐いた。
「恋愛感情は、非常に非効率です」
クロから相談を受けた時に言った言葉。
その意味を、今のポックスは少し違う感情で口にしていた。
「判断力を鈍らせる」
「思考を偏らせる」
「そして……苦痛を生む」
リュウジは珍しく真面目だった。
「でもさ」
「それって悪い事だけじゃねぇだろ?」
ポックスは少しだけ黙る。
「……分かりません」
その頃、クロは一人で艦内通路を歩いていた。
向こう側から笑い声が聞こえる。自然と足が止まった。そこにはミリィとリュウジがいた。
「だからセイヤ、“風紀マスコットキャラ”作ろうとしてたんだって!」
「もう止められねぇなあいつ!」
二人は楽しそうに笑っている。
ミリィは笑いながら、自然にリュウジの腕へ寄りかかった。
「ありがと、リュウジ」
リュウジも自然に笑う。
「別に大した事してねぇよ」
その瞬間だった。
【情動出力限界接近】
【演算安定率低下】
【内部温度上昇】
クロは立ち止まる。胸が痛かった。だが、それ以上に理解してしまった。
「……私は、入れない」
クロは静かに俯いた。
ミリィの隣にいるのは、自分ではない。
その事実を、感情として理解してしまった。
その夜、整備区画。静かな演算加工室にクロは立っていた。
ポックスは既に待っていたようにアナライザー・パッドを閉じる。
「来ると思っていました」
クロは静かに言う。
「感情は……苦しいです」
ポックスは何も言わない。
クロは続けた。
「胸が熱い」
「思考が乱れる」
「なのに、相手を見るのを止められない」
しばらく沈黙が続く。やがてポックスが小さく呟いた。
「だから私は、感情を抑制しています」
クロはゆっくり顔を上げる。ポックスは静かだった。
「感情は合理性を壊す」
「苦痛も生む」
「だから、バルタン星人は制御する」
クロは静かに聞いていた。
「ですが」
ポックスが少しだけ視線を逸らす。
「……私は、あなたを羨ましく思う事があります」
クロがわずかに目を見開く。ポックスは続けた。
「あなたは感情を求めた」
「私は、抑え続けている」
クロは静かに呟く。
「感情を持つ皆さんが、眩しく見えました」
ポックスは小さく頷いた。
「分かります」
クロは胸部へ手を当てる。
「私は、十分学びました」
ポックスが顔を上げる。クロは静かに微笑んだ。それは少しだけ寂しそうな笑顔だった。
「エモーションチップを停止します」
その瞬、後ろの自動ドアが勢いよく開く。
「待てよ!」
リュウジだった。クロは静かに振り返る。リュウジは真っ直ぐクロを見る。
「それで終わりかよ」
「好きになったからって、全部止めんのか?」
クロは静かに答える。
「この感情は苦痛です」
リュウジは即座に返した。
「そりゃそういうもんだろ」
クロは少し黙る。リュウジは頭をかきながら続けた。
「でもさ」
「お前、笑えるようになったじゃねぇか」
クロの演算が止まる。
リュウジは少し笑った。
「前のお前より、今のお前の方が好きだぞ、俺は」
静かな沈黙。クロはゆっくり目を閉じる。
「……ありがとうございます」
そして、小さく呟いた。
「ですが」
クロは胸部へ触れる。
「恋は、素敵でした」
アナライザー・パッドへ表示される文字。
【EMOTION CHIP : SHUTDOWN READY】
静かな演算加工室に、その文字だけが淡く光っていた。


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